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一般的な洗浄強迫、確認強迫では、考えより先に情動によって世界を把握しようとする傾向がある。例えば、面接室の床は触れるのに、廊下の床は触れないという方がいたとする。その説明は、「廊下の方が、人が多く歩くから汚い」と話したりする。これは大丈夫、これはダメという基準が、他の人からみると摩訶不思議な基準に思える。
これは、基準が不思議というより、自分の中から沸き上がってくる情動を何とか説明しようとして言語化するために起る現象だと考えられる。時には、汚れのレベルが決まっていて、特定の行為(手洗い、アルコール除菌)で汚れのレベルを下げるという強迫行為もみられる。こういうパターンを持っているひとは、無意識にこれはレベル◯◯の汚れ度だと判定していることになる。家の中と外で汚れ度が違う人もいる。

不思議なことにこの基準に対する矛盾を指摘しても、多くの強迫性障害の方は、この矛盾に反論してくる。例えば、「手洗いを何度も繰り返す方が、常在菌が減り、手荒れがひどくなり、手は汚くなりますよ」と伝えても、何らかの反論をする。言い換えれば、医学的な根拠を挙げたり、説得を試みるようなことを話しても効果がないことが分かる。

実は、この綺麗・汚いを判定する(汚れのレベルを判定する)プロセスそのものが強迫行為である。例えば、不潔恐怖がある人に、テーブルをさわってもらおうとすると、汚れていないかどうかをじっとみてさわろうとする。
この強迫行為を反応妨害せずにエクスポージャーをし続けると、これは◯◯だから触れる・触れない、家に◯◯さんがいる場合は鍵をチェックしないで済む…といったように、条件付きの改善しかみられない。
この条件を積極的に取り去っていくことが、認知行動療法では大事になる。汚染に限っては、綺麗・汚いの境界をなくして、全部汚れているように汚してしまったりする。特に汚染強迫の人は、聖域と呼ばれる汚したくない場所をいくつか持っていることが多い。この聖域も汚してしまう必要がある。聖域は、多くの場合、自分のベッドだったりする。

 

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カテゴリー: 強迫症(強迫性障害)